WAKANA IKEDA

冬よりも春のほうが乾燥している気がする

私は毎年、冬場よりも春のほうが肌がカサカサしたり喉が乾燥する。花粉のせいなのか、、、うっかり加湿器つけないで寝ると朝声が出ない。その状態でいま日記書いてます。

これから貧富の差がますます大きく開くのは一目瞭然で、今はドネーションや通販で少しでも支えることができていても、そこにお金を落としていた中間層も今後全体的にお金回りが厳しくなる。パトロンを見つけられた者だけが金を握り残っていくのか。

江古田の飲食店も心配なところが何軒もある。書きながら思いついたけれど、テイクアウト実施している店など、見つけたらTwitterなどで積極的にお知らせしていこうと思う。

芸術分野もこれからさらに厳しくなる。というか現時点で少なくとも自分はかなり厳しい。待ち受ける苦行の内容によっては、体or精神なんてなかったら良かったと思うのだろうけれど、生活が続く限り、私は何かについて考えることができる。それは少し救いでもあるような気もするし、そうではない気もする。

リリース情報(1)

3〜4月で、いくつか自分の参加した音源がリリースされました。ご紹介できていなかったものについて、ここに書きます。(まだ手元に届いていないものもあるので、それは手元に届いてから書きます。)ディスコグラフィーも追って更新する予定です。

 

・寺尾紗穂 『北へ向かう』

前作に引き続き、アルバムレコーディングに呼んでいただきました。寺尾さんと一緒に同録。前作はすでに録音されていたピアノと歌に対して合わせるというかたちでしたが、今回は一発録りで一緒に。決められたレールに合わせて設計していくのではなくて、互いの呼吸の流れに合わせて流れのままに同じペースで進んでいく時間が、とても心地よかった。寺尾さんの歌は、優しさも、厳しさもあって本当に聞いていて安心する。人が作った音楽だと実感できる。

http://www.sahoterao.com/

 

・東郷清丸『超ドQツアーファイナル Live DVD』

今見ると、この時期のことがすごく懐かしく感じられて、みんな元気かなあ…となる。かなりボリュームもしっかり、一時間半くらい収録。配信限定で音源バージョンもリリースされています。こちらも是非!

https://kiyomarization.com/

 

・井戸健人『Song of the swamp』

一昨年にTHE RATELのツアーでスーパーノア と対バンしたのをきっかけに、井戸さんのソロ作のレコーディングにも呼んでいただき数曲フルートで参加しました。作曲におけるリズムアプローチとミックスにフォーカスを置いて作られていて、そのあたりの聞き応えも充実した作品なのですが、そのテーマに埋もれることなく自由研究/日記的なすごくパーソナルな視点が歌詞をはじめ随所に感じられるところが素敵です。真相は聞いてみないとわかりませんが…良いタイトル(quote from Duke Ellington)です。

http://kentido.wixsite.com/kentido

4月の日記

前月よりだいぶ元気になった。諸問題は今に始まったことではなく根深くいつも側にあったもので、こうして表出したからといってやんや言っても意味がない。すでにおぞましい世の中で生きているんだから、今更何を恐れるのだろうか。他の理由でもっと多くの人が亡くなっている病気や社会問題だってある。

しかし、コロナに関したことだけでなく、こんなことは何十年も前から言われていることなので書くまでもないけれど、社会全体は資本主義の流れに乗ってどんどん複雑化している。複雑すぎて、情報を適切に選択したり、一つ一つの問題に対してしっかりと議論したり思考したり、自分がどう行動するべきかを考えたり、多くの人にとってそのようなことがますます困難になっている。考えさせないようなシステムに囲いこまれているだろう。

社会のスピード感に適応できる思考速度を持った人だけが賢者になり、では適応できない人はどうなるだろう。情報を適切に選択できない、一つ一つの問題に対して議論したり思考できない、自らがどう行動すべきかを考えられない人が仮に居たとして、それ自体が悪なんだろうか。これは社会全体の問題なのではないだろうか。これは誰も責めるべきではない、仕方がない、といっているのとは違います。

あのような国のトップが立っている状態なのも、自分と自分の周りの人との関係性やコミュニケーションの蓄積の結果なのでは。そう考えるより他に、今の状況を理解するのに役立つ理由づけを思いつけない。

パオロ・ジョルダーノ氏は発表していたテキストの中で”感染症の流行は、考えてみることを自分たちに勧めている”と書いていた。引用なのに一字一句同じではないかもしれない、すみません。どさくさに紛れて、仕方がないからという言い訳で、社会システムに迎合したくない。

問題はコロナそれ自体ではなく、それを受け止める社会や個々人にある。ウイルス自体が悪意を持って広がっているわけでもないし、”生命系全体の利他的なツール”ともいえる。

(福岡伸一の動的平衡)ウイルスという存在 生命の進化に不可避的な一部

・現在のこと

基本は家に居て、どうしても外出しなければならないときは自転車のみで移動。電車をやめた。むしろ昼間は暖かいので気持ちいい。私はもとから家で仕事することが多めなのでライフスタイルは大きく変化していないけれど、音楽の仕事は全滅だし、金銭的には悲惨な状態が迫っているので、どうにかしないとと焦ってる。国に補償を求めていくことしかできず、危機感のない議員のコメントを見ると暖簾に腕押しになってしまっているのではないだろうかと心が折れそう。しかし折れた先には経済/肉体の双方向からの死しかない。それで、今声を上げられる具体的な方法論ってSNSに書き込むことや署名、抗議文以外にどのようなことがあるのだろう。

・署名したもの

最近、私は以下などに署名しました。本当は積極的にドネーションなどもしたいところですが、自分自身が金銭的な危機に瀕しているのであまりできていません。

私の夫、赤木俊夫がなぜ自死に追い込まれたのか。有識者によって構成される第三者委員会を立ち上げ、公正中立な調査を実施して下さい!

新型コロナウイルス感染拡大防止のための文化施設閉鎖に向けた助成金交付案

#SaveTheCinema 「ミニシアターを救え!」プロジェクト

・これからのこと

書こうと思ったけど、次回にします。

3月の日記

PANICSMILEが2月5日にリリースしたニューアルバム『REAL LIFE』にフルートで参加しました。THE RATELでレコ発イベントにも呼んでいただいています。ホーンは二宮さんが東京で録音してくださり、フレーズも二宮さんが書いてくださったものを私は演奏しています。

A

自分の考え方ひとつで、世界は変わる。自らでかけた呪いをといていこう。という自己啓発キャンペーンは限界だ。自分の思考を柔軟にすることで、かなりしんどい世の中ではあるけれども、東京で生きていくことに楽しみを感じられるかもと思っていたのだけれども、もう無理かもしれない。
どのようなことに楽しみを感じるかは人により異なるので、生活に求めるものも異なると思う。生活できる人もいると思うし、それはうらやましくもあるけれど、自分が大切にしたいと思うことが、もう日本ではかなわないのではないかと不安に感じてる。石をまたぐか避けるなりして、うまくかわせばいいのだろうけれども、自分はその石の多さに途方もない気持ちになって立ち尽くしてしまうか、石を細部まで観察してしまい時間を無駄にして気持ちをえぐってしまっている。考えないようにすればいいんだろうか。
友人とこのような話をすると、不安を一旦据え置いて頑張ろうお互い、みたいな話になるのだけれども、それにも限界を感じる。その時は気持ちが晴れるけれど、その場しのぎだ。
今日より明日がよい日になるだろうと願っているが、願いは絶対にかなわない。そうなってくると、時間の経過が苦痛でならない。以前は聴くのに数時間かかる作品を楽しむのが好きだった。しかしもう、時間が経過した後の世界のことを考えると苦しくなる。
苦痛から逃れるには情報を遮断して、限られた人間関係のみに限定し、半径一メートル程度の快適な空間を作り出すしかない。それは自分の思考回路をより狭く貧しいものにするだろう。それを私は全く望んでいない。
いま色々なことを、具体的に、広い視野を持って、想像力を働かせて思考できなくなってしまっているのを自分に感じていて、すごく悔しい。とにかくこの状況から脱しないとまずい。何もできなくなりそうだ。

B

何かに対して怒りを感じること、憤りを感じることはすごく大事で貴重だ。そこには生き方に対するこだわりがある。こだわりがなかったら、怒りも湧いてこない。友人と好きな物や苦手な物について話をするのが好きだが、それはその人のこだわりを知れるからで、どうでもいいと思っていることの話なんて、つまらないのでしたくない。だけど、くだらない話は沢山したい。
私はだれかと話がしたいし、もっとだれか、なにかのことが知りたい。だから芸術を鑑賞するし、人と話すのが好きだ。
PANICSMILE の吉田さんとメールをしていて、とにかく今の状況に憤りを感じるという話をした。希望のある話が全く出てこない。PANICSMILEの新譜に参加させていただいたこともあり盤についての文章と書こうと年始に意気込んでいたのだけれどAのようなことを考えていたら、時間がツラツラと経過してしまっていた。そしたらどんどん事態が悪くなっていく。年末には想定できなかったくらい、もっと今は楽しくない世の中だ。辛い世の中だけれど、音楽を聴いている時間だけは救われるから音楽が好きだという考えには、私は全面的な同意はできない。音楽は心を豊かにできるけれども。
PANICSMILEの新譜は、なんというかひたすら現実的な世界が描かれていて絶望的な嘆きと怒りが聞こえてくるのだけれども、音自体はカラッとしてるしテンションも飄々としてる。どこから着手したらこんな曲になるのかわからないけれど、いくつかのインタビューなど読んだらなるほどなと思った。(WISHKAHが最も面白かった)人を団結させるようなコマーシャルな言葉もないけど、自分にとってはこっちのほうが救いがある。音楽は何かに耳をふさぎ、フィルターをかけて、都合の悪いものを見えないようにするマジックではなく、もっとさまざまなことを考えるきっかけになる、思考を広げてくれるものであってほしい。わからない、とときに思わせてくれるものであってほしい。見たくない石に装飾を施して心地よくその場しのぎできるような芸術商品には、興味が持てない。実際のところ、あらゆる作品について言えることですが、音楽を聴いただけでは、実際なにもかわらない。(音源を買うとアーティストが潤って助かるとかそういう文脈の話ではない)音楽と社会のつながりを考えると、聴いて、考えて、行動にあらわれて、はじめて変わる可能性が生まれる。そして、音楽は社会を変えるために生まれているものではない。

C

音楽をつくるのは、その人自身だ。
アルバムの感想の延長としてコンテクストと手法のつながりについて的な話をしたことも記憶しているけれども、いろいろなことが交錯してしまって、そのときなんでそれを伝えようと思ったのか、文脈が思い出せない。おそらく、なんでこういう表現をやってるのかって、そのアイディアの核になってる部分にすぐに到着できないような、そこにイメージをふくらませることができるものが好きだということを話したかったのかもしれないし、もっと他にも理由はあった気がする。

D

PANICSMILEの新譜のレコ発は4/3に渋谷7thFloorで行われる予定。アルバムの話というよりも、それを絡ませた私の最近の考え事的な内容になってしまい、ここに書いてある大半は個人の見解なのでPANICSMILE及び作品の内容の正誤とは関係ありません。アルバムについては聴いて頂けるのが知るのに一番よいのは明白です。既に店頭にも並んでいます。レコ発でもお買い求めいただけると思います。私は一曲だけ参加しました。よろしくお願い致します。

E

もう今は願うだけでは何も解決しない世の中だ。

1991年のこと

今日は東京で雪が降ってる。寒い方が好きなので、雪も好き。パラパラと顔に雪が落ちてくると楽しい気持ちになる。

小学生のときに、両親へ自分が生まれた日のことを質問するという授業があり、最近そのことを思いだした。

1991年1月17日に湾岸戦争が始まって、このまま世界はどうなってしまうんだろうと不安に思いながら出産を迎えたと、母は言っていて、当時の新聞の切り抜きを見せてくれて。
小学生のときだったので、あまり戦争に対して実感がなく、世界の別の場所で、だいぶ昔に戦争があったらしい、くらいに飲み込んでしまって、適当な返事をしてしまった気がする。

また大きな被害を生む戦争が起きるんだろうか。当時私を生んだ母の年齢を私はもう越しているけれど、今だとその母の不安な気持ちがすごくよくわかる。