池田 若菜 | WAKANA IKEDA

今週は風邪をひいていて、だいぶ良くなってきたにもかかわらず念の為多めに寝たり休んでいるせいか眠れず、なんとなくブログを開いてみた。

何を書こうかなというところから始まってしまうけれども、今この日記を書いていて沼倉さんから託された原稿をやらなければいけないことを思い出して少し冷や汗が出た。これは来週。。。

それで、今年やろうとしている自分の制作について、気が変わってしまう前に、今ぼんやり考えていることをメモ的に書こうと思う。とりあえず、これは去年くらいから言っていて実行できていないけれどもライブの本数を減らしたいと思っている。今決まっている(告知されていないものや、約束として今年やろうと決めていた企画を含む)ライブはもちろんやるつもりでいて、それ以外はできないものが多いかもしれない。

理由を書くにあたり、即興と作曲作品と、あとは録音についてメモ。

以下はあくまで私の今の体感という話でしかなく、音楽のジャンルについての話ではない前提で書いていますが、即興は奏者にフォーカスされる分量が多く、あなたはどうしますか?流れに乗れますか?乗れませんか?的な圧が強いと感じることがあり、性分的に正直自分はその波に乗れないのでパスとかどうもしたくないですとか言いたくなってしまうというか。基本的には協調性を大事にしたいと思っているあまり、気にしなきゃいいのに、そうした態度が顔を見せる自分が嫌になってしまって、へこみやすいのであまり数多くできない。(そうした態度が顔を見せない時は、うまくいったかもしれないと素直に思える即興になっている)

対して作曲ものは、作曲者と演奏者はイーブンだと思っていて(それはバッハ、モーツァルトやサティ等の純クラシックだったとしても)、ライブでやっている時はその場所にいないのに場を支配している第三者が存在していることが心地よい。自分の作品だったとしてもそうで、演奏しているときはただ演奏家になれる。集中すべきことが作曲である程度示されているので、そこに気持ちを置ける。しかし、自分が作曲していると、この感覚をどう書けばいいのかわからない的な記譜上の問題にぶつかり、結局もやっとしたままになることも多い。(結果としては良くても、やりたかった構想は別なのにな、的なこと。奏者の問題では決してない。構造上の話。)

即興にしても作曲にしてもスキルの問題なのではというのはあるけれども、そのスキルを磨きたいかどうかという問題になってくるので、一旦置いておく。

それで紆余曲折色々考えた結果、自分の作曲作品を自分で演奏して作品を作るならば、ライブではなく録音でしか達成し得ないのではと思い至った。言葉があるからこそ何かを認知できるともいうけれど、寝る前の消灯した部屋の暗闇で私はぼんやりと光のグラデーションを見て、そこで何とも表現しにくい何かを感じることもある。それを写真に撮ろうとしても、その感覚を共有するものとして機能しないので、ある程度の時間をかけて多方向から見ながら抽象画として絵を描くみたいなことが、今やりたいことなのだと思う。漠然としていて何だそれはという感じかもしれないけれど、自分的にははっきりと構図は見えている感はある。去年今年でいくつか絵を買ったことも、薄く影響を及ぼしているかもしれない。

ライブを減らそうかなあと思っているのは、Repeat After Meの後で自分の制作が止まってしまっていて、そろそろやりたいと思っているけれども進まない焦ったさに鬱々としてきたのが理由で、今年やってしまわないと、このまま自分のやる気が立ち消えそう。自分はかなり不器用な方で、1つのことをやるのに、そのことと直接的に関係ないことを10000くらいやらないと(やる余裕を持てないと)1つのことが十分に達成できない。マルチタスク的なものも、仕事などだと仕方なくせざるを得ないが、本当はものすごく苦手。ライブが多いと、締め切りがそちらの方が先なので気がそちらに行ってしまい、さて録音はライブの後かなとなってしまう。そうするとライブが終わった頃には次のライブがあり、と連鎖で何も動けない状態になってしまうことが多い。ライブのお誘いは大変嬉しいし、人と一緒にやるのは大好きだし、私を気にかけてくださることに感謝しかない。お断りするのはとてもおこがましい気持ちになるし、自分がもっと色々できる人ならば何でも無限にやりたい。ライブがあることで成立している場所があるし、そうした場所への感謝もある。

とりあえず、今すでに決まっているものは、ちゃんとやりたい。

色々文章ひどい部分も多いですが、たまにはよしとしようか。雑記でした。

年末年始の休みモードに乗っかり、スーパーもお休みになるからと、食べ物をまとめ買いした。普段、あまりまとめ買いをしない。食料に関してストックが多すぎる状態だと、後で無駄になる可能性があるので、過度な買い溜めは控えている。それでも年末年始はここぞとばかり買い溜めてしまった。恥ずかしい。

必要なものもあるけど必要ないものも沢山ある。夫にやりすぎたと話をして気がついたけれど、私は家にこもってただ休みたくて仕方がなくて、とことんダメになって、溶けるように寝ていたくて、それが永遠に続けばいいと思っていて、食糧が尽きるまではそうしていたいと思っているから買い溜めたのではないかと思った。

だいたい、あぁもう籠っていたいと思う時は、私は少し疲れている。誰かに会っても不遜な態度をとってしまう可能性もあり、それによってさらに自分が苦しむことになるので、とにかく沢山寝て、病人のように、ひたすら休み続けることにしている。

それなのに、年末年始は年末年始的な忙しさで、休むことが、十分にできなかった。料理したり掃除したり実家に帰省したり他の人から見たら、いやいや休んでるでしょうと言われると思うけれど、とにかくベッドから動かずに寝ることが、私にとっての休みだ。

1/4の午後は思いきって全てをやめて休むことにした。ひたすら寝まくってすごく満足した。

だらだらしながら、読み落としていた本や記事を読む。

私はケーキの中でも生菓子が好きで、ちょくちょく店を調べては買いに行って家で食べる。マニアみたいな感じではないので、そんなに詳しくはない。さまざまな技法を組み合わせて作られたケーキを食べると、美味しさに対する喜びだけでなく、そこに込められた技術と、それを習得するまでにかかった年月に、途方もない気持ちになり感動してしまう。違う種類の食材を使って、違う技法で層にして、、どれだけ手間がかかっていることか。

日本の生菓子業界で長年絶大な人気を誇るパティシエ、ピエール・エルメさんのインタビューを読んだ。主要デパートに複数店構える巨大スイーツ工房にもかかわらず、ケーキのクオリティが安定していて、食べるたびに驚く。(コアなファンからしたら、昔は…みたいなのがありそうだけど、それは私は知らないので考慮に入れない。ピエール・エルメ工房には、おそらく数十人、いや下手したら数百人のパティシエが在籍し、チームプレイでケーキを仕上げていると思う。)

近年の価格高騰で千円台に突入したケーキもあるみたいだけれど、食べた瞬間に飛び出し絵本のように目の前にバタバタっと広がる、小麦やバター、クリーム、花や果実のエッセンスの芳香を浴びると、価格のことや、カロリーは一旦どうでも良くなる。

そんなピエール・エルメさんのインタビューに、創造性について以下のような一文があった。(少々意訳してます)

「創造性を育むには、まず素材の知識。そしてテクニック。あとは理性を超えるインスピレーション。」

書き初めにして壁に貼りたいくらい、その通りだなと思った。

あと、美味しさというものに制約を感じることはないかという質問に対しては、笑顔のムードで軽快にノーと応えていた。なんだか私は、幸せな気持ちになった。

Live at Namsan, Seoul

韓国ソウルでライブをします。

今月11月26日、lo wieと一緒に。

lo wieとは6年前に数日間一緒に過ごし、ツアーを回った。(赤間さん、陽子さんも一緒だった)

それ以来、会うことはあっても一緒に演奏はしていなかったから、すごく久しぶり。

とっても楽しみ。きっと素晴らしい時間になると思います。

また、ツアー日誌を、帰ったら書こうと思う。

 

 

その後

数ヶ月が過ぎて、なぜかわからないけれどもスーッと、体や精神が楽になってきた。

本当になぜだかわからない。夏というか暑いのがが毎年苦手で、バテていた可能性もある。秋口から少しづつ、辛いなあと思う回数が減った。

それでも以前と同様な状態まで復活しているのかはわからないけれど。それは考えても仕方のないこと。

秋冬は食べ物も美味しい。そんな簡単なことで高揚して、回復傾向にある可能性もある。

ご心配いただく声をいくつかいただいていたので、書いておくことにした。

元気になってきました!

 

 

いくつかここ数ヶ月間の外出歴をメモ。

香川に行って中園孔二さんの展示を見た。展示も素晴らしかったし、香川はとってもいいところだった。

 

バンドで名古屋へ行って、久々の味仙。

 

浦さん、高良さん、土屋さんとの共同企画”4grounds”で横須賀に行ってライブをした。横須賀はやっぱり海風を感じるな。

 

この前やった多摩川でのコンサート、気候も良くていい時間だった。

 

写真はないけれど、今年も木枯らしコンサート楽しかった。

 

 

 

不調

メモ的な雑記。あまり内容が無いけれど、個人のウェブサイトなら書いておいてもいいか、というような内容。(先に書くと、体調不良ではあるのですが、休みつつやっているので、レコーディングのお誘いやライブのお誘いは、嬉しいです。楽器はしっかり演奏できると思っています。何かあれば、ご連絡ください。)

いつもより体調がすぐれず生活に支障をきたす機会が多くなって3ヶ月目。体調不良について、あれこれ嘆くのが目的ではなく、思うことが色々あって、そのメモ。
これまで、そんなに体調に困ったことがない生活を送っていて、今、私は初めてしっかり長期的に体調を崩しているとおもう。そう書きつつも迷いがあって、ざっくりと私は「私は体調を崩している」と思うんだけれど実際に詰めて一つ一つを考えると、自分が体調を崩しているのかどうかがわからず、自分が元気なのか否かがわからず、今私はどんな状態なんだろう…と考え込んでしまった。
体調不良は、定量的に人にとても伝えにくい。頭痛ひとつにしても、それぞれのコンディションや生まれ持った性質等でその不良に耐えられる量も異なるし、どのくらい不良なのか言語化しにくい。不良の状態は同じでも、朝は具合が良く感じ、夕方はきつい、とか時間帯による感じ方の違いだってもあるかもしれない。精神力があれば、どんな体調不良もたいしたことはない(まず乗り越えるというのか何かも謎だが)というマッチョ思想も耳にしたことはあるけど、実際それは人によると思うので、全員に当てはめるのはおかしいと思う。
救急で対応いただいている間、何度も「耐えられないくらいMAX辛い(痛い)のが100だとしたら、今はどれくらいですか?」ときかれたけれど、耐えられないくらいMAX辛い状態=死なの?ということがまず質問の意図としてわからず、とりあえずそうなのだと考えると、今自分がどれくらい死に近いのかは、死を経験したことがないし数値で何と答えていいかわからず、ただ物凄く痛くて耐えられないから救急を呼んでるので、結果「90以上」とか適当に答えるしかなかった(痛い渦中、頭が働かない中でのベストアンサーだった)。
さらに抽象的な概念として“元気”というものもあって、退院後にどれくらい元気かを人に説明する場面などで「だいぶ元気になってきました」という言葉が私の口をつき、私の目指すいつもくらい元気ってどんな状態で、今と比較しあとどのくらい足りていないのだろう、と帰り道に考え込んだりした。
体調不良=元気ではない、又は 元気ではない=体調不良 というのは関係性が直接的すぎる。体調は元気がなくなる大きな要因として作用するだろうけど、2つは別物だと思った。
ある人は体調が悪くても元気かもしれないし、ある人は体調が悪いのが一因となり元気がないかもしれないし、ある人は体調はわるくないけれど元気がないかもしれない。
今私にわかるのは、自分が身体に不良(不調)を感じていることだけ。